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星野仙一さんは監督として金本知憲さんに何を引き継いだのか

更新日:

こんにちは
でこぽんです。

2018年3月10日
阪神甲子園球場で星野仙一さんの
追悼試合が行われました。

試合結果は
・1-1
の引き分けと終わりましたが

金本監督を始め
阪神タイガース、中日ドラゴンズの選手達は
何を思いプレーしたのでしょうか。

金本監督は星野仙一さんの遺志を引き継げたのでしょうか。

星野仙一さんの遺志

「闘将」
これが星野仙一さんの監督時代の代名詞です。

自身のプロ野球選手としてのキャリア後は
監督として多大な功績を残されました。

時に怒りにまかせて
ベンチを蹴り上げたりしながらも日本国民に
これだけ愛された監督はいたでしょうか。

中日ドラゴンズの監督
阪神タイガースの監督
北京オリンピックの監督
東北楽天ゴールデンイーグルスの監督

様々な選手と出会い、育て、一人立ちさせ

日本球界にこれだけの貢献を残した人

星野仙一さんが阪神タイガースに残した遺志は

「勝利に対する執念」

だったのではないでしょうか。

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星野仙一さんと金本知憲さん

2002年オフ
広島カープからFA宣言していた金本選手の
ハートを射抜いたのは
当時、阪神タイガースの監督だった
星野仙一さんでした。

星野監督の人間力に惹かれ
阪神タイガースに入団した金本選手。

後にこんな事を言っています。

星野さんが監督じゃなかったら阪神はなかった
星野監督じゃなかったら03年、05年の優勝はなかった
優勝といういい思いが出来たのは星野監督のおかげ

どれもジーーンとくる言葉です。

そして金本選手は星野監督の胸の内を察していました。

監督というのは休まない選手が一番ありがたい

これも金本選手が
「鉄人」といわれた由縁の1つでもあります。

金本選手は星野監督の
「弱者を強者にする野球」に応えるように
激しいウエイトトレーニングをこなし
鋼の肉体を手に入れました。

最終的には
1492の連続試合フルイニング出場世界記録
1766の連続出場記録という
誰も無しえなかった記録とともに

記憶に残る選手

になりました。

まとめ

「星野仙一さんは監督として金本知憲さんに何を引き継いだのか」
ですが

    勝利に対する執念
    弱者を強者にする野球

だったのではないでしょうか。

金本監督が掲げるチームスローガンはこうです

    1年目 : 超変革
    2年目 : 挑む
    3年目 : 執念

どれも星野イズムを引き継いでるように思えます。

この星野イズムは金本監督から
教え子(選手)へと引き継がれ
そのまた教え子へと引き継がれて行きます。

こんなにも日本の野球を熱くしてくれた
星野監督と金本監督に
感謝と感謝と感謝を送りたいと思います。

おわり

この記事はいかがでしたか

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