寄せ鍋のような熱いブログ 〜目標はね〜

気になる人、気になる物、お役立ち情報、お得情報を散りばめたブログです!

中村紀子(日本語教師)の中村Radioと中村日語が中国で大人気のワケ

更新日:

こんにちは

でこぽんです

 

中国に渡り日本語教師として奮闘する中村紀子さん

元々は日本で世界史の教師を目指していましたが

バブル崩壊の影響もあり教員試験の倍率が高騰し

夢に破れました

 

この記事ではそんな彼女の

・中村紀子(日本語教師)さんの中国での経歴

・クンクンさんの協力が大きかった

・中村紀子さんの中村Radioと中村日語

について紹介します

 

こんな方におすすめ

  • 中国に渡るってスゴイと思う人
  • 中村Radioと中村日語が気になる人

中村紀子(日本語教師)さんの中国での経歴

出典元:https://www.recordchina.co.jp/b183052-s0-c30-d0038.html

 

中村紀子さんの中国での経歴の前に

なぜ中国に渡ったかについても

サラッっとお伝えします

 

元々は日本で世界史の教師になりたかった中村紀子さん

しかしバブル崩壊の影響で教員採用試験の倍率が

異常に高騰しその狭き門をくぐれませんでした

 

しかし夢はついえず大学卒業後5年間

教員採用試験に挑み続けます

しかし結果は・・・惨敗

 

27歳の時

それまでアルバイトをしていた個別指導塾に

教室長として就職しました

 

しかし90年代後半は、ゆとり教育全盛期で

教師としては物足りなさを感じていました

 

そんな時、たまたまテレビで

中国で日本語を学ぶ学生の真摯な様子を見たのです

中国は高度成長期で勢いがあり

「中国で日本語教師として働きたい」

という気持ちに火が付いたのです

 

中国の武漢にて

2003年3月15日、33歳の時

中村紀子さんは「中国で日本語教師として働きたい」

という目的の為、中国の武漢に降り立ち

中専(学校)で働く事になりました

 

情熱を武器に奮い立っていましたが

言葉の壁が。。。

中国は広く日本でいう標準語だけでは

円滑な会話が出来なかったのです

武漢で通じる中国語が必要だったのです

 

くじけそうになりました

そんな時、たまたまSARS(重症急性呼器症候群)

が流行し中専(中村さんが勤める学校)は閉校になりました

そこをチャンスと捉え、1か月半

中国ドラマで中国語を勉強しまくったのです

※中国のドラマは音声は標準語で

方言の字幕が付いているのです

 

そしてこの中専で8年間、人の倍以上働きあげたのですが

2011年に生徒募集停止となりこの学校を去ります

 

次に赴任したのは同じ武漢にある

中南財経政法大学(以下財大)でした

ここは中専より格上の一流大学です

 

この財大、週末も犠牲にする位に勤勉な生徒が多いのですが

日本語の勉強は楽しんでいるように見えなかったのです

 

「何とかしなくては!」

中村紀子さんの行動が始まります

 

無いなら作ってしまおう!

目的は中国人生徒に日本語の勉強を楽しんでもらう事です

 

日本語関係の楽しいイベントが必要と考えました

中村紀子さんが担当の「日本語学科」のイベントなら

人も集まるだろう

 

出典元:https://www.nippon.com/ja/features/c01625/

 

そのベースとしてサークル「南風社」を

日本語学科内に作ったのです

クンクンさんの協力が大きかった

南風社の活動に賛同をしてくれた数人の学生さん

その中に張君恵さん(愛称:クンクン)がいたのです

 

中村紀子さんとクンクンさんは南風社の活動を広めるべく

連日に渡り打ち合わせを繰り返し

お互いの家に帰ってからは新浪微博(中国版ツイッター)

ミーティングを繰り広げました

 

クンクンさんはビデオ編集や動画処理が得意

パソコン周りに強かったのです

 

南風社のロゴマーク、紹介ビデオを作りました

社訓「結束・結果・継承」

社歌「南之風」も作りました

 

これらはクンクンさんの協力なくしては

出来なかった事ばかりです

 

次第に南風社に興味を持つ人が増え

日本語学科の授業だけでは実践不足との声より

毎週1回の日本語サロンを開いたのです

 

このサロンでは中村さんの同僚の日本語講師や

近くに住む日本人

中国の日本語愛好家たちが協力をしてくれ

毎週40名くらい集まるようになりました

 

諦めなかった中村紀子さんの心意気と

クンクンさんの献身的な協力があってこそです

 

さらにこのサロンの様子をSNSに

3年地道にアップしたところ

フォロワーは4000人を超えたのです

 

SNSを通じて日本語教育が中国さまざまに

広まっていったのです

 

まさに継続は力なりです

 

中村紀子さんの中村Radioと中村日語

中村Radio

それはクンクンさんの一言から始まりました

 

中村Radio

「最近、インターネットでラジオアプリっていうのが流行っているんですよ」

 

朗読番組の事です

中村紀子さん自身も授業のネタ集めに

朗読番組は参考にしていましたが

パッとした番組に出会えてませんでした

 

「よし、無いのなら、自分たちで作ってしまおう!」

2014年8月8日、「中村Radio」の発足です

 

でも日本語の朗読なんで聞いてもらえるかなぁ

そんな不安も吹っ飛びました

 

76日目にフォロワーが1000人を超え

5年目でリスナー総数が10万人を超えたのです

 

リスナーさんが送ってくれる温かいメッセージ

とっても心に沁みました

 

中村日語

中村Radioのリスナーさんからこんなメッセージがきました

「中村先生の授業を受けたいのに、

こんなに離れていては会うこともできない」

 

このリスナーさんは

武漢から3000キロ以上離れた中国西北部に

住んでいたのです

 

またもや中村紀子さんの心に火が付きました

「直接会えないのなら、授業はもちろん、

授業外の時間もできる限り学習者に寄り添って行こう」

 

ここで始めたのが

インターネット日本語教室「中村日語」なのです

 

これを機に中村紀子さんは財大を辞め

クンクンさんと一緒に

新天地、湖南省長沙で頑張っているのです

 

そしてその噂は日本にも広まり

「ザ・ノンフィクション」等の

テレビ番組に取り上げられるようになりました

 

まとめ

中村紀子さんの人となり

伝わったでしょうか

 

・中村紀子(日本語教師)さんの中国での経歴

・クンクンさんの協力が大きかった

・中村紀子さんの中村Radioと中村日語

 

記事執筆時点で49歳の中村紀子さん

教師としてはまだまだ頑張れる年齢です

インターネットを活用した新しい方法で

日本語教育を中国全土に送っています

中国政府と規制に遭わないといいですよね

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました

-人物

Copyright© 寄せ鍋のような熱いブログ 〜目標はね〜 , 2024 All Rights Reserved.