こんにちは
でこぽんです
前田勝さんという舞台役者
最近、にわかに脚光を浴びています
理由は「ザ・ノンフィクション」というテレビ番組で
取り上げられ話題になったからです
この記事ではそんな前田さんの
・前田勝さんは俳優で劇団えにしの主宰
・複雑な生い立ちをクラゲ図鑑で表現
・それでも八っちゃんは元気
について紹介します
こんな方におすすめ
- 劇団えにしが気になる人
- 八っちゃん?って思った人
前田勝さんは俳優で劇団えにしの主宰
2019年現在、35歳の前田勝さん
実は劇団えにしという団体の主宰をされています
2012年、前田勝さん28歳と時に立ち上げた劇団で
前田勝さん自身も舞台俳優として活躍されています
2012年には
「サヨナラのかわりに」
2013年には
「チチキトク」
を上演しました
劇団自体が確実に実力を付けていき
2008年には中野ザ・ポケットという
180座席を誇る劇場で「甘い丘」を上演しました
まぁここまでは普通の役者バカの人生ですが
前田勝さんの複雑な生い立ちは
次の章で紹介する、劇団創設の以前にありました
複雑な生い立ちをクラゲ図鑑で表現
本名は趙勝均
父親・・・台湾人
母親・・・韓国人
これが前田勝さんの素性です
じゃあ何故日本で生活しているのでしょうか?
それには複雑な家庭事情があります
以下が前田勝さんの生い立ちです↓
生い立ち
1984年、韓国で生まれる
↓ ↓ ↓
産まれて間もなく両親が離婚
↓ ↓ ↓
親戚の家を転々とたらい回し
↓ ↓ ↓
7歳の時、父親の台湾に行き一緒に暮らす
↓ ↓ ↓
13歳の時、母親が日本で日本人と結婚し母のもとへ
↓ ↓ ↓
18歳の2002年にあの痛ましい事件が。。。
日本(名古屋)で暮らし始めたのは13歳の時です
その当時は日本語を必死で学び
日本の文化に溶け込もうと必死でした
産まれてから日本に来るまでの生い立ちを見ても
「なぜ幼少期に親と暮らせなかったのだろう」
「韓国、台湾、日本と親の都合に振り回されてる」
「自分って何人なんだろう」
「自分の故郷ってどこ?」
「本当に必要とされ生まれてきたのか」
こんな事を考えてしまいそうな位に複雑です
それでも日本の2人目の父親を受け入れ
懸命に生きてきました
そんな時にあの痛ましい事件が起こってしまったのです
2002年、18歳の時
事もあろうか母親が2人目の父親を殺めたのです
撲殺です
その後、母親もマンションから身を投げるという
名古屋無理心中事件。。。
18歳と言えば思春期、反抗期を終え
自分の将来に注力できる年齢です
その時にこんな事件が起こるなんて。。。
もちろん外的要因なので前田勝さん自身では
どうする事もできません
かなり凹んだに違いありません
「クラゲ図鑑」
これが前田勝さんが前を向き始めた証です
クラゲ図鑑という演劇ではこれらの生い立ちを題材にし
劇団えにしとして演じ切りました
クラゲのように浮いたり沈んだり
こんな想いからこの題名は付けられました
母が遺した携帯電話や手紙
目を背けていたこれらと真剣に向き合い
母の人生を辿ったのです
「お母さん、ぼくはあなたに謝りたい。
そして、声を荒らげて言いたい、
ふざけんな!と」参照:https://stage.corich.jp/stage_main/67808
そんな前田勝さんの心の叫びを形にした
クラゲ図鑑
全身全霊を傾けた作品となっています
それでも八っちゃんは元気
これが現在の前田勝さんです
大盛ですね!
前田勝さんはうつ向いていません
前を向いています!
「八っちゃん」って名前の由来
気になりますか
前田さんの顔にヒントがあります
特に上半分
そうです
眉毛です
眉毛が「八」に似ているからですね
そして画像を頂戴したツイッターですが
やたらビールが多いです
さらにカレーやラーメンといった食べ物も
ユーチューブも同様にビールですね↓
特にオチの無い動画ですが
1つ気付いたのが日本語が完璧です
日本は13歳からなので結構遅めですよね
前田勝さんの生い立ちを知らなければ
普通の日本人として何の違和感もありません
これだけ上手に日本語が喋れるって事は
相当努力もしたんでしょうね
八っちゃんの動画は他にも多数あるので
興味のある人は是非ご覧ください!
まとめ
前田勝さんの人となり
伝わったでしょうか
・前田勝さんは俳優で劇団えにしの主宰
・複雑な生い立ちをクラゲ図鑑で表現
・それでも八っちゃんは元気
複雑な生い立ちではありますが
それでも八っちゃんは元気です
前田勝さんの主宰する劇団えにしは
まだまだメジャーとは言えず
目にする機会もほぼありませんが
「ザ・ノンフィクション」へのご出演をキッカケに
地方公演が出来る位にカンバってもらえると
きっとファンも増えるでしょう
最後までお読みいただき
ありがとうございました