こんにちは
でこぽんです
原島玲子さんの年齢って気になりますか?
この原島さん
新宿ゴールデン街の事なら何でも知っていると
もっぱらのウワサです
子供の頃からゴールデン街で母と2人で暮らし
高校の頃、ゴールデン街を出るものの
母や親戚が居る事もあり毎日通ったとか
今回は新宿ゴールデン街
「BAR ロベリア」のママ
原島玲子さんに迫ってみます
こんな方におすすめ
- 原島玲子さんの年齢が知りたい人
- 新宿ゴールデン街の歴史が知りたい人
原島玲子さんの年齢は?
左の女性が原島玲子さんです
原島さんは芸能人でもないので
プロフィールは公には公開されていません
しかし、年齢を知る手がかりを発見しました
それは2017年にNHKで新宿ゴールデン街が
紹介された時、原島さんがご出演されていました
その際、50年前の3歳の頃の白黒写真が紹介されました
勘のいい方はお解りですよね
2017年の50年前が3歳と言う事は
2019年は55歳です
※ちなみに上の写真は2017年(53歳)です
新宿ゴールデン街の歴史
新宿で最もディープな場所、ゴールデン街
このゴールデン街について
原島さんの生い立ちも絡めつつ紹介します
今では2000坪の土地に約270件の
飲み屋が軒を連ねるゴールデン街
誕生は昭和24年(1949年)、戦後の事です
当初は店を開いても客は集まらず
男女の非合法は出会いの場、
青線と化していました
青線とは 日本で売春防止法施行以前に非合法で売春が行われていた地域の俗称。
参照:Wikipedia
その後、昭和33年(1958年)
売春防止法が施工され
新宿ゴールデン街は飲み屋街へと変貌を遂げました
その頃のゴールデン街は
1F(店)、2F(家)といった具合で
家族で暮らす人が増えていったのです
原島さんの母、千代子さんは親戚に誘われ
22歳の時、ゴールデン街で店を始めました
その後、原島玲子さんが生まれるも
幼い頃に離婚、2人暮らしを余儀なくされたのです
でも原島さんは寂しくはありません
周りは長屋でご近所さんとの距離が近く
近所付き合いも活発だったからです
上の写真に原島さんと一緒に移る(右側)
田中開さんのおじいさん(直木賞作家の田中小実昌さん)
には随分かわいがってもらい
パンやお菓子をいっぱいもらったとか!
当時の新宿ゴールデン街は
そんな日常を繰り返していたのです
しかし昭和60年代、バブル崩壊の荒波が押し寄せてきました
大半の飲み屋は経営が悪化し、店を畳む人が続出
街には地上げ屋がウロウロするようになり
ほとんどの店に不動産屋の張り紙がされた状態に
そんな中でも母:千代子さんは店を手放さず
懸命に生きていたのです
2012年、75歳で他界するまで
2013年、49歳の原島玲子さんは
母の店「ロベリア」を改装し
新しい店としてオープンさせました
その後は新宿ゴールデン街の名物ママとなり
テレビで新宿ゴールデン街のロケでは
外せない店となったのです
まとめ
原島玲子さんの人となり
伝わったでしょうか
・年齢は55歳(2019年)
・新宿ゴールデン街で生まれ育ち知り尽くしている
・名物店「ロベリア」のママ
・これからも新宿ゴールデン街を愛していく
ロベリアというお店
機会があれば是非行ってみたいものです
最後までお読みいただき
ありがとうございました